そうだ、長野行こう

22日に日記を更新し、その夜、長野に向かって出発しました。目的地は善光寺。例によって時系列。長い日記になります。


ホワイティさんからのお誘いで、メンバーはたくどん、ミキティ、ちーちゃん、cobu、わたしの善男善女。予定の時間になってもcobuが帰ってこなかったり、ちーちゃんが音信不通になったりとどたばたしましたが、白ちゃんが各家を回ってピックアップ。23時過ぎにファミマ駐車場にて結団式。長くも楽しい珍道中の始まりです。


23日
深夜だけあって、長野までは高速道路もすいすい。4時過ぎに長野着。
今回の第一目的である善光寺は、7年に一度の御開帳。早朝にもかかわらず、参道から境内にかけてすごい人。「お朝事の前後には、法要の導師を務める善光寺住職(男性のお貫主さま、女性のお上人さま)が本堂を往復する際、参道にひざまずく信徒の頭を数珠で撫でて功徳をお授けになる「お数珠頂戴」の儀式があります(善光寺HPより)」。
お数珠頂戴の列にでは、運よく一列目に並ぶことができました。待つこと約1時間。そしてお数珠で頭をなでてもらう、というか、コツンと軽くぶたれました。ありがたい。
戒壇めぐりは長蛇の列で、おそらく3時間ぐらい待つことになりそうなので、やめました。実は高校の修学旅行で体験し、かなり怖かったので並ばないと決めたときに安心したのでした。

 
 
 



善光寺をあとにしたのが、朝の6時前。休憩をかねて朝食をとろうとデニーズへ。モーニングを食べたあと、ミキティとわたし以外の4人は撃沈していました。ここでわたしたちまで寝ちゃうと店に悪いよね、と我慢。



8時ごろ、戸隠の鏡池へ。鏡のように戸隠の山々を映すという鏡池。ここに靄がかかって山が映っていないときに訪れた人は、縁遠くなるそうです。白ちゃん、ちーちゃん、ミキティの3人が、「じ・えんど〜逗(ず)」を結成。

 



戸隠神社の奥社へ。駐車場から2キロなので30分ぐらいだよという白ちゃん。どんどん進むみんなに引き離され、わたしとたくどんはぐずぐずと歩く。まっすぐ進めないふたりなのであった。もうそろそろ着くかと思ったところで、あと480メートルの標識にがっくり。下山する人にあとどれくらいですかと尋ねると、「あと10分ぐらいですね」と言われてまたしてもがっくり。するともうひとりが「そんなにないわよ、あと少し」と言ってくれてどうにかがんばる。並木の杉の木は、樹齢400年を超えているそうです。奥社に近づいたら、ちーちゃんが迎えに来てくれた。足、がくがく、息あがる。九頭龍社にも。
2キロ歩いたということは、また2キロ歩いて戻らなくてはいけないのだった。あたりまえだけど。

 
 
 



12時すぎ。ここでやっと昼食です。戸隠蕎麦の、白ちゃんおすすめのうずら家は、3時間待ちの列。宿坊の極意に入り、蕎麦を。まずは乾杯。白ちゃんはノンアルコールビールです。そばがきと、それからわたしは大盛りのかけそば。

 
 



戸隠神社中社へ。樹齢700年を超えるご神木。

 



戸隠神社はパワースポットらしいのですが、そういうことに鈍感なので、とくにパワーは感じることができませんでした。



栗で有名な小布施へ。日曜日の鎌倉の小町通りといったにぎわい。観光地化してるのね。コーヒーと栗のお菓子で休憩。わたしは栗のババロア。とても濃厚でおいしかった。

 

 たくどんが買ってくれた福栗焼き



17時前にホテル着。あずまや高原ホテルです。緑に囲まれ、きんとした空気がおいしい。露天風呂からは細く煙を吐く浅間山も臨めました。



温泉に入って、食堂で乾杯。白ちゃんもやっとビールが飲めます。しゃぶしゃぶや蕎麦は写真撮ってませんでした。

 
 

食後は、白ちゃん、ちーちゃんの部屋で宴会。みんな疲れているので、早めに解散。



24日
雨模様の朝。7時前に起きて、ひとっ風呂。朝食はバイキングで、朝から食欲満点でございます。



天気がよくないので、長野県信濃美術館・東山魁夷館へ。魁夷の絵は白い馬のものが印象的で、あまり好きではなかったけれど、若いころの作品とか、しもた屋を描いたスケッチのような絵は好きだった。ちゃんと見れてよかった。



千曲の名月の里、姥捨の棚田へ。田植えを終えた田もあり、空が映って美しい。歩いているのはわたしたちぐらいで、静か。上から見ると、棚田が広がった向こうに町や千曲川が見えた。

 
 

なぜか田んぼの脇にドリアンの皮。



ここで昼食の蕎麦。この日は天ぷらのぶっかけ。冷たい蕎麦に熱い天ぷらがおいしい。

 



北向観音堂。北に向いているから北向観音。南に向いた善光寺を詣でたら、こちらも詣でなければ片詣でとなって厄除けにならないそう。白ちゃんが地図を見ながら、「すごいことに気付いた。真北を向いてない」と興奮。

 

 失礼ながら、魅力乏しい参道



最後に海野宿。豪族・海野小太郎幸氏の城下町で、北国街道の宿駅として開設された、全長650メートル。日本の道百選に選ばれているとか。17時近かったので、ひと気はなく、ほとんどの店は閉まっていた。無人の八百屋(?)があったので、100円のはつか大根を買う。立派な卯建をもつ建物多い。

 
 



道の駅、雷電くるみの里によって買い物し、帰路につく。帰りの高速は少し渋滞もあったが、おおむね順調。途中、雷雨。戸塚でレンタカーを降り、逗子に戻る。ENISHIで解散式(?)。帰宅したら0時を回っていたので、あしかけ4日の旅。なにからなにまで手配をし、お酒を我慢して全行程を運転してくれた白さん、ほんとうにありがとう。おつかれさまでした。

 



24日はわたしたちが逗子に越してきた日。住み始めたときには、こんなに仲のよい友達がいっぱいできるなんて想像もしていなかった。わたしのまわりは善男善女ばかりだ。ありがとうございます。南無。