首の痛み

 <雨、曇り、晴れ>

肩こりがひどくて首まで痛みが激しいので、整形外科で診てもらった。たいしたことはなかったが、お尻に注射をされた。
その整形外科は現在建て替えのために更地になっており、その隅のプレハブが仮診察室となっている。そのため、待合室と診察室はカーテン一枚で隔てられているだけで、診察椅子の1メートルぐらい後ろには、カーテンをはさんで別の患者さんが待っているという状況だ。野戦病院のようでおもしろい。


野戦病院で思い出したことがある。大学のとき同級生がバイクで自滅事故を起こし入院した。cobu(将来いっしょに暮らそうとは想ってもいなかったころ)のところに警察だったか病院だったかから連絡が入り、別の友人と3人であわてて病院まで飛んでいったのだ。環状線沿いにあったその病院が、野戦病院のようだった。
いまの言い方をすればERなんだろうが、血のついた白衣を着たドクターやナースが動き回っていたし、廊下にもベッドが置かれ人が寝かされていた。壁のむき出しの配管や、窓枠につもった埃、何が原因でできたかわからない床や壁のしみ、何の用をなすのか数々の医療機器。いまでもはっきりと病院内の情景を思いせるほど、ハタチすぎのわたしには怖い場所だった。

手術を終えたばかりの彼は眠っていたのだか、起きていたのだか、覚えていない。その隣のベッドでは、ハゲたおじいちゃんがシーツに鼻くそを塗りたくっていた。入れ歯を手にしてじっと見つめているおじいさん。「もうだめだ、助けてくれ」と点滴をしたまま大部屋のなかをうろうろしているおじさんもいた。
1週間くらいして、友人は大学病院に転院した。常識的な患者だけの、ごく普通の大部屋だ。そして足をワイヤーで固定されしばらく寝たきりだった友人は、だれが見舞いに来たか、何回来たかをノートにつけて眺めているようなヤツだった。心配して損をしたということだ。とはいえ2年近くギブスをつけて、学生生活を送っていたので、許してやった。



8月の終わりまでに終わらせなければいけない仕事がある。まだ手をつけていない。明日からがんばろう。
小学生のとき、夏休み最後に日になっても自由研究が終わらず、「あしたは始業式だけだから明日も使える」と考えた覚えがある。夏休みもそろそろ終わりだ。


最近、「がんばる」を「ばんがる」、「おねがいします」を「おがねいします」、「かいもの」を「かもいの」などと打ち込むことがある。携帯でも、キーボードでもどっちもだ。字の並びを見ておかしいと感じたり、変換できなくて気づいたりする。